いい道具は行動を促す。
早く搾りたくて仕方ない。
東屋のジューサーを使っているとき、おそらく口角は5°上がり、口は半開き。
皮ごしに伝わる果肉のギュギュギュッとつぶれる感触に、にやけ顔を禁じ得ません。
これは立派なリラクゼーションやサウナ的整いの類。
ティッシュを箱が空っぽになるまでシュッシュシュッシュしていた子どもは、やがてミカン箱が空っぽになるまでギュッギュギュッギュする大人になるのでした。
搾り器の部分は「力を伝達しやすい構造」になっているように思えます。
「力がいらない」のではなく、「力がちゃんと伝わる」から気持ちよく搾れる。
たとえば、手のひらにぐっと力を込めたときに、果物の芯までじわっと圧がかかっていく感じ。
あの一体感のある手応えは、パーツの角度や形の整え方、力が逃げにくい構造がうまく噛み合っているからこそです。
うまく搾れるというより、無駄なく搾れる。だから気持ちいい。
技術的なことはわからなくても、感覚的に「これ、ちゃんと考えられてるな」って思える道具は繰り返し使いたくなるものです。
発見!
果汁100%はおもしろい。
搾りたての果汁100%ジュースを飲むと、果物をそのまま食べたときの味と、けっこう違うことに驚きます。
果肉が繊維と分離して液体になるのだから、違うのは当たり前なんだけど、こんなに違う?っていうくらい違う。
違う=美味しい というわけではないですよ。ジュースの美味しさは、当然ですが使う果物の美味しさによります。
ただ、「違う」と「おもしろい」のです。
輸入食品店で新しい調味料を手に入れたときのわくわくに通じるものがここにある気がします。
果物を「味つけの選択肢」として見る感覚。
東屋のジューサーが台所にあると、その発想が自然と身についてきます。
あまりに手軽に搾れるので、「ちょっと使ってみるか」が日常になっていくかんじ。
たとえば、レモンの果汁をサラダに。みかんの果汁を少し加えたキャロットラペ。グレープフルーツの果汁を魚のソテーに合わせたり。
果汁は酸味だけでなく、香りと甘みが一緒になった、ちょっと贅沢な調味料です。
このジューサーを手にする方にはぜひとも「しぼりたて果汁のおもしろさ」を存分に味わっていただきたいなぁと思っています。
ジューサー No.1
東屋ジューサーシリーズの初号機にして名作。
たとえばレモンやすだち、かぼすのような小さな柑橘を搾るには、これがちょうどいい。なにより、取っ手がついているので、片手でもすっと持ち上げやすいのがうれしいところです。
ジューサー No.1がもっとも輝くのは調理中だと思います。
ちょっとレモン果汁を足したいときや、ドレッシングをさっと仕上げたいとき、「わざわざ感」がないぶん、使う頻度が自然と増えます。
小さいけれど、搾る力はじゅうぶん。受け皿の縁は注ぎやすく整えられていて、液だれしにくい。見た目もどこか愛嬌がありながら、凛とした静けさを持っています。
ジューサー No.2
東屋ジューサー三兄弟の中でいちばん大きいジューサーNo.2。
グレープフルーツや八朔だってなんなく搾れちゃう頼もしいやつです。
安定感が抜群で思い切り搾れるのが気持ちいい。
ジューサーNo.2は"No.1とNo.3より"大きいだけで、”大きくした東屋のジューサー”ではありません。
道具を同じ比率で大きくすると使い勝手にも佇まいにも不調和が起こる。なんてことは多分にありますが、「このサイズの道具」として仕立てられてるジューサーNo.2はジューサーNo.2として存在しています。
大きいけど収まりがいい。力が入れやすいけど、見た目が重くならない。
無理のないデザインというのでしょうか、そういうさじ加減がなんとも絶妙です。
ジューサー No.3
ジューサーNo.3は食卓の延長線にあるジューサーです。
取っ手がないぶん、形はすっきりしていて器としても美しい。どんな食器に囲まれても違和感がなく、むしろ、搾るという行為を食卓に持ち込むための、唯一の道具として成立しています。
レモンサワーを作るときはもっぱらこれ。シリーズに共通することですが、上の搾り器パーツを外さなくても果汁を注ぐことができるので、卓上使いにうれしいことこの上なし。
鍋の際に卓上で搾りたての柚子果汁をポン酢に加えるなんて使い方も大変に乙ですね。
「大は小を兼ねる」という言葉はあるけれど、小さな道具がちゃんと“小さいことの意味”を果たしているなら、それはもう兼ねる必要のない存在なのかもしれません。ジューサーNo.3は、まさにそんな道具です。
写真・文:Yuto Tenjin
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